三年後に会いましょう


「三年後、またこの木の下で会ってくれますか?」
 秋空の下、閑散とした広場に立つ一本木の下、約束は俺のとなりに座る線の細い女性、楓の震える小さな口から俺へと告げられた。
 というのも楓の父は会社の関係でアメリカへ三年間の転勤が決定し、働くことになっていた。それに伴い一家で渡米することが決定していたのだった。俺にはどうすることも出来なかった。ただただ承諾し、我慢で作った笑顔を見せ、強がりながら、「ああ、三年後」とだけ言ってその日、楓と別れた。
 楓は別れ際、目に涙を貯めながら「手紙書くからね」と言ってくれた。その言葉を心に、俺は待とうと決心した。

 楓のいない日々、それは何も楽しみのない虚無の日々。
「ああ、三年後」
 と言ったことを何度も何度も後悔するのに十分すぎるほど長い時間だった。
 俺にとって、一ヶ月毎に届く手紙だけが俺を幸せにしてくれた。一通の手紙を何度も何度も読み、そして心を込めて返事を書いた。
 そんなやり取りが何度か取り交わされた。
 しかし、一年半を過ぎた頃、プツリと音信が途絶えた。一ヵ月毎にくるはずの手紙も途絶え。その日から二ヶ月、三ヶ月経った。そんな中俺は心配になり、何度も何度も手紙を書いて送った。が、その返事は一向に返ってくることはなかった。
 そんな期間が続き、荒んでしまった俺は一つの考えに行き着いた。
 きっと楓は、アメリカで素敵な男性を見つけた、もしくは俺との遠距離恋愛に疲れたのどちらかで手紙を書かなくなったのだと決め込んだ。どちらにせよ俺とはもう会いたくないのかなと思うことにし、楓との思い出を徐々に心の奥へと追いやっていった。

   しかし、二年半を過ぎたある日、アメリカから一通の手紙が届いた。いつもとは雰囲気の違う手紙に多少違和感を覚えつつ、封を開ける。
 白い紙の上に書かれた文字、そこに楓の筆跡はなかった。

 お元気ですか、楓の母でございます。いつも楓を笑顔にしてくださるお手紙ありがとうございます。今回お手紙を差し上げましたのは、もうお手紙は必要ありませんということです。娘は去年、心無き人々により命を落としました。もう少し早くお手紙を出せればと思いましたが、辛くて辛くて……。
 ごめんなさい。娘はいつもいつも日本であなたに会うことを楽しみにしていました。
 今になってまで黙っていたこと、深くお詫びいたします。ごめんなさい。

 その文面の筆圧は弱く、今にも消えてしまいそうな文字を、心を込めらて書かれていた。楓は命を落としました、その言葉が心に深く突き刺さり、抜けない。例えようのない脱力感に襲われ、俺は両手を床について、手紙を握り締めながら一生分の涙を落とした。

 約束の秋。俺は楓と約束したあの木の下へと向かった。もしかしたら楓が帰って来てくれるような気がした。ひょっこりと、何事もなかったような顔で俺の名前を呼んでくれる気がした。そんな淡い期待を抱き俺は朝日と共に家を出た。
 俺は待った。太陽が昇り、お昼を過ぎたが、俺は待った。太陽が傾き、空が茜色になった。しかし、まだ彼女は来ない。まだ俺は待った……。
 夕日が地平線に沈む頃、もう来ないと諦めかけたその時、東から強い風が吹き付けた。俺は腕で顔を覆うようにして身をかがめた。
 風が止み、腕を下ろすと目の前に信じられない光景が広がっていた。
 幾枚もの楓の葉が俺の前を舞っていた。地平線ギリギリから注ぐ赤い夕日に照らされ、キラキラしているその風景を見ながら、俺は待っていて良かったと思った。
 まるでそれは、楓が帰ってきたかのように思えた。